女性講師と食事 (レストラン世界)NEXT ダブリンのタクシー  

B&Bは歩道から、5〜6段石段を上った所にある。低い白いフェンスが家の周りを囲っていて、簡素な鉄の扉がある。開かれたままの扉から家の入り口に向かった。国道から30m程奥に、数件の一階建てのB&Bが道路と平行に仲良く肩をならべて建っている。B&Bから下に小さい港が見える。200坪位の敷地で芝生の前庭がある。ベランダには外灯が、部屋には明かりが灯っている。僕が、荷物をベッドの横の棚に置くと、彼女は「朝食は何時がよろしいですか」と尋ねた。「8時頃お願い出来ますか」と言うと、ちょっと困ったような顔で「9時過ぎではだめでしょうか」と言われた。明日、ヒ−スロ−空港のタイ航空に電話をしなければならない。その為に、8時過ぎに食べ終え9時には公園に行き、電話しようと思っていた。しかし、了承しておいた。部屋の窓から遠くに港が見えている。彼女は鍵を渡してから、「ふろ場を案内します」と言って、後からついて来るよう促した。「風呂場」は狭い廊下を隔てて、僕の部屋の真向かいにあった。此の時点で「このB&Bは、各部屋に浴室(トイレ)は付いていない。その為に18ポンドと安い値段だ」と気がついた。
 
 ドアーを開けると、15畳位の部屋が簡素な「仕切り」で二つに区切られている。入り口付近がトイレと洗面所でその奥に浴室がある。浴室は細長いバスタブで今までのB&Bのものと同じだ。彼女は、「あなたが最後なのでごゆっくり」と言いながら、湯沸機の使い方を説明してくれた。「シャワ−やトイレを使用する時は、このドア−の鍵を内から掛けて下さい」と言った。部屋やベッドは古いがとても清潔だ。部屋は狭くテレビもお茶(ポット)の用意はない。 たっぷりとシャワ−を浴び肩を温めた。気分が落ち着くと、「最後の難関が迫っている。明日までにヒ−スロ−空港のタイ航空に電話をしなければならい」、今回の旅は3つの「難関」があった。1番目はバンコクでの乗り継ぎ、2番目がヒ−スロ−からダブリンに渡る事。3番目が出国の3日前迄に、ヒ−スロ−空港のタイ航空に電話連絡をしなければならい事であった。このような面倒な手続きは「格安チケット」だからである。

 明日は締め切りの3日前だ。タイ航空に電話さえ繋がれば問題はない。明日までに連絡しなければ、「脅かし通り」帰りの旅券は無効になるのだろうか。ベッドに入っても、なんとなくタイ航空への電話が気に掛かる。最悪のときは日本の旅行会社に連絡をして何らかの対処をしてもらわねばならない。ところが、アイルランドの朝9時は日本の夕方の6時で、旅行会社は閉店し始じめるのである。時差9時間とは、アイルランド人が活躍し始める時には、日本人は活動を終えようとする時間である。ホテルなら内線から自由に電話できる。明日の朝、オーナーに国際電話をかけさして貰う事も考えておいた。タイ航空やトラベル会社の電話番号をメモに写し、さらに、国際番号XXXXXも再掲して、それを枕元に置いて眠った。朝8時外はすっかり明るくなった。カーテンを開けると晴れた海が見えている。庭の緑と赤や紫の花が鮮やかだ。オ−ナ−の婦人が「起きている」ことを期待して部屋を出た。僕の部屋の右奥に、客室が2部屋ある。しかし、部屋は空いているようだ。玄関口の前の廊下を、真直ぐ奥に進んだ。アンティク−のランプが灯っているだけで暗い。正面の突き当たりが食事室の様だ。電灯がぼんやり灯っている。廊下を左側に曲がると大きな応接室になっている。閉じられたままの厚いカ−テンが、朝の光を遮っている。その為に、出窓に置かれた人形達はまだお休み中である。 
 しかし、オ−ナ−の「部屋」が見つからない。立ち止まり耳を澄ましてみた。家中静まり返っていてなんの音も聞こえてこない。彼女は、「どこに」いるのだろう。さらに、廊下の奥に開いたままの小さいドア−がある。覗いてみると裏庭になっている。花壇はなく、小さいブリック建築の家が建っている。それが、「彼女の寝室」なのだろうか。裏庭の向こう側は隣との境界で2m位の高さの石塀がある。アンナの裏庭にも、同じような高い石塀があったのを思い出した。どの家も表側は開放的に造られているが、裏側では隣との境界を厳格にしているようだ。早朝なので彼女は起きていないのだろう。「寝室」らしき小さい家を注視した。しかし、「人の気配」が全くしない。僕はたまりかねて、「おはようございます」とその建物に向かって呼んでみた。しかし、何の返事も帰ってこない。いったい彼女はどこにいるのだろう。

 玄関のすぐ左手に一部屋ある。「彼女の部屋」かもしれないと思った。さっそく、戻ってその部屋のドア−をノックした。しかし、何の返答も無いので、「おはようございます」と言ってみた。すると、部屋の中で人の気配がする。一瞬「オ−ナ−」だと思って喜んだ。 しかし、いくら待ってもドア−は開かない。もう一度「おはようございます」と大声で呼んでみた。それでも、ドア−は開けてくれない。仕方なしにドア−に耳を近づけて、中の様子を伺ってみた。すると、「少し脅えた」老夫婦の声が聞こえてくる。女性の声が「開けちゃだめよ」と言っているみたいだ。彼らは旅行客であって、オ−ナ−ではないのだと気が付いた。彼らは僕を「強盗」と思ったようだ。彼らに謝る事も出来ず時間だけが進む。昨夜オーナーが、朝食を「9時以降」に指定した理由がやっとわかった。多分、彼女はここに住んでいないようだ。ここは、「B&B専用」で他に居宅があるのだろう。こうなれば、街まで走って行く事に決心した。このまま荷物を持って宿泊費を払わずに、「朝逃げ」しようと思えば出来ないことはない。こんな時は、こんな「つまらない考え」が浮かぶものだと思った。もちろん、そんな事はしない。あのヒューストン駅の彼女がこのB&Bを親切に紹介してくれたのだ。

 この国は、国道にも公衆電話が設置されていない。ゴールウエイ駅迄行かなければならない。自分の部屋のドア−に、「電話のために街に出かけます。10時迄には帰ります」と伝言を書いて貼ることにした。その為に、パスポ−トなどの大事な物を持って出なければならない。「夜逃げ」でなく「朝逃げ」のような感じがした。部屋の鍵と入り口の鍵を持って外に出た。後ろを振り返ると、あの老夫婦の部屋が見えている。薄いカ−テンの向こうに、二つの影が僕の方を見ているように思えた。門を出ると軽く走り始めた。カバンを持ったジョッギングなんて初めてだ。舗装された国道は少し濡れて光っている、朝に雨が降ったのだろう。この国は急に天気が変わる。走り始めて2〜3分すると、国道に沿って住宅やB&Bがある。通勤や通学の人たちを載せたバスが1台僕を追い抜いて行った。「街の中心」の近くなのに公衆電話ボックスは一台もない。歩道をサラリ−マン風の男性と若い女性が街に向かっている。五分ぐらい走ると登り坂にさしかかり歩くことにした。

 坂の頂上に大きなサッカ−競技場がある。さすがにサッカ−の盛んな国だ。競技場に気を取られていると、後ろから「お願いが有るんですが聞いてもらえんでしょうか」と声がした。びっくりして振り返ると、50才位の男が目の前に立っていた。彼の風貌は「刑事コロンボ」に似ている。僕は彼が、「朝の散歩をしているおっちゃん」だと思った。 「いいですよ」と気軽に返事をした。すると、彼は「すいませんがお金をくれませんか」と言ってきた。「お金をくれませんか」の一言にすっかり目が覚めてしまった。よく見ると、ズボンがよれっていて靴もくたびれている。やっと、彼が「お乞食さん」だとわかった。競技場を過ぎると街は直ぐそこだ。運送会社の広い駐車場から、大型トラックが道路に出てきた。アイルランドで最初に見た大型「保冷」トラックであった。道の左側の不動屋さんと右側の喫茶店が開店している。不動産屋のガラス窓に、6軒の売り物件が写真付きで貼られている。全て「中古」住宅である。店の中で女店員が一人、書類の整理をしている。道路は右に大きく曲がり始め、ケネディパークが見えて来た。昨晩同様車の混雑はない。横断歩道で手を挙げると車は必ずスピ−ドを落としてゆっくりと止まる。公園の公衆トイレは綺麗に掃除がされている。公衆電話ボックスは3台あるが使われていない。全ての1ポンド硬貨と昨夜作成した電話番号メモを取り出した。

 硬貨は12枚ある。灰色の電話機の受話器をあげると、ダイヤルト−ンが出た。デイスプレイに硬貨の要求がされる。ヒースロー空港のタイ航空事務所にダイヤルを回した。0181−862−xxxx、しかし、繋がらない。「誤ダイヤル」かもしれないとかけ直したがやはりだめだ。よく耳を澄ますと、「この番号は使われておりません」と弱い声のテ−プが流れている。さっそく、日本の旅行会社に電話をし担当者を呼んで貰った。日本では夕方の6時過ぎである。幸いなことに直ぐ担当者のYが出てきた。「君が書いてくた電話番号に掛けているが、電話が繋がらない」、「番号は使われていませんとテープで案内されている。いったいどうなっているんだ」といらだちながら詰問した。彼は「番号は間違いないはずです、今までいけたんですから」と、「例の落ち着いた」口調で言った。1ポンド硬貨が3秒ぐらいでコットン、コットンと落ちていく。彼に「もう少しで電話が切れる。君の弁解を聞く暇はない。とにかく、10分後にもう一度電話をするので番号を確認してくれ」と言って電話を切った。

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